Company
会社情報
人を愛し
愛される蔵元として
家族で力を合わせた酒造り
1948年3月、
初代は水が豊富で多様な地質に恵まれた久米島の環境に惚れ込み泡盛造りを創めました。創業当時、稲作が盛んだった島のイメージから「米島(よねしま)酒造(しゅぞう)」と命名し、地域に根ざした酒造りを信条としました。
米島酒造では時期に合わせた泡盛造りに励み、造り手の五感を通して気温、湿度、温度、気圧の変化に手作業で丁寧に対応いたします。
こだわり続けての小規模生産、手の届く範囲内での酒造りには、造り手の感覚と情熱を注ぎ込んでおります。
また、先代から受け継いだ蒸留機で熱して生まれた泡盛は、過去と現代の技術を駆使しながら新しい未来に向けた酒造りを心がけます。
Company
Information
会社概要
- 社名
- 米島酒造株式会社
- 所在地
〒901-3123
沖縄県島尻郡久米島町大田499
アクセスマップは こちら久米島空港より車で約10分
久米島兼城港より車で約3分、徒歩8分
- 代表者
- 田場俊之
- 創業
- 1948年
- 設立
- 2014年10月16日
- TEL
- 098-985-2326
- FAX
- 098-985-2328
SPECIAL THANX
History
沿革
1948 創業
琉球政府時代の下、初代田場良徳は、7名の仲間と共に「米島興業合資会社」を設立しました。
設立当時の久米島は、造り酒屋が4社も在りましたが、アメリカ軍と一緒に洋酒文化が島を席巻した時代だったので、流れに逆らう形で容易なことではありませんでした。(現在では久米島島内の造り酒屋は2社になっております。)
1962 初代から2代目へ
運営や酒造りが上手くいかず、初代田場良徳だけが残り、個人会社として米島酒造を存続させました。
それからも日夜試行錯誤した酒造りが続きました。
やがて着実に泡盛が売れ始め、島民の多くが愛飲し始めた頃、初代は体調を壊してしまい入退院を繰り返します。当時31歳で水田農業を営んでいた2代目田場庄次郎が酒造りに入る事になりました。(実直な2代目で酒質の向上に励み、酒造りも順調に拡大を始めます)。
1967 全盛期から窮地へ
酒の出荷も大きく伸び、当時の全盛期を迎えた頃、以前とは味の質が変わった酒を出荷してしまい、信頼を失う事になります。
その後、信頼を取り戻すまでに長い年月がかかり酒の出荷も止まり、倒産寸前まで落ち込みます。
(当時、良徳69歳・庄次郎37歳の時でした。)
1986 再び信頼を構築する
当時36歳の3代目田場弘が、窮地を助けるため、酒造りに入りました。それから徐々に酒質の向上と共に人気商品となる、4合瓶久米島30度を発売。
(地域の人たちと一丸となって酒質開発に取り組み、徐々に信頼も回復し昔以上の島酒として愛飲され始めます。)
2000 4代目へ新商品
20歳の4代目田場俊之も酒造りに加わり、親子3代の三人四脚での酒造りと研究が進みました。
この時に後の「美ら蛍」となる「久美の月」が発売されました。
Now これからの米島酒造
現在の米島酒造は先代の苦い経験を忘れる事なく、人の味覚の繊細さを痛感し、手間と時間を掛け妥協しない酒造りを続けています。
今日では小規模生産ながらも製造の8割が久米島で消費されるまでになりました。
これからも皆様に美味しく飲んでいただいていることを誇りに思いながら、先代から引き継いだ熱い思いを胸に泡盛造りに努めて行きたいと思っております。